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おばあちゃんのこと

ちょうど一週間前の12月22日、96歳の祖母が旅立ちました。
プロフィール欄にも記載している通り、私が「あんな風に生きたい」と憧れる祖母でした。

私が幼いころは畑や家で仕事をするおばあちゃんに見守られながら遊んでいました。
小学校に入り、放課後校庭で遊んで少し遅くなると心配で学校に電話をしてきたおばあちゃん。
中学生、高校生になってからはもっとたくさん心配をかけてしまった時期もありました。

大学生になり私は家を離れ、立派な従兄弟達の活躍ぶりを聞いて「外孫ばっかり立派になって、内孫がこんなでごめんね」と電話で伝えると、
「み~んないい子に育ってくれたからそれが一番だ」と言ってくれました。

年をとってから、畑に行こうとして道を渡る際に交通事故にあったこともありました。
慌ててお見舞いに駆け付けると、顔も体もあざだらけ、足首にボルトを入れて何やら機械に繋がれながら「なーんもいとね(何にも痛くない)」と笑っていました。
そんなわけない!と親族は全員思っていましたが、そういうことにしておきました。

どんな大変な状況にあっても愚痴や不平不満を言うことはなく、
自分の食べるものも着るものも「何でもいい」と、とにかく欲のない人でした。

そんなおばあちゃんも認知症を発症してからは辛そうにしていることがありました。
今までできていたことを失敗してしまう。仕事をしたいのにすると家族に迷惑をかけてしまう。
自分の居場所がここでは無い気がして家に帰ろうと外出して迷子になってしまう。。。

そんな姿に、仕事で接するご利用者も誰かの愛するおばあちゃんであり、お母さんであり、妻であり、子どもであったという事実がいかに大切なものかを感じました。
今の状況だけを切り取るのではなくその方がどんな風に生きてきたかを考え尊重して接すること。
そんなことを考えさせられました。

娘が産まれ、連れて実家に帰ると30年前に私にしたように慈愛に満ちた深い色をした目で娘を見守り、
あやしてくれて、愛してくれて、娘もおばあちゃんに甘え、やっと私もほんの少しだけ祖母孝行ができたような気がしました。

デイサービス、グループホーム、病院、老健にお世話になり、
嚥下機能の衰えもあり最期は食事を諦めて枯れるように穏やかに息を引き取ったそうです。
突然のお別れではなく、周りの人が心の準備をする時間も用意してくれたんだと思っています。

96年、強く優しく生き抜いたおばあちゃん。
本当にお疲れ様でした!ありがとうございました!!
まだまだ追いつけないけど、一生かけておばあちゃんを目指していきます。

喪中につき年始のご挨拶は控えさせていただきます。よろしくお願い致します。

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